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僕はホームレスに育てられました

2018.05.02

僕が幼少期に住んでいたのは、
大阪の西成区にある<あいりん地区>と呼ばれる地域。
多分は2歳から住んで、8歳までの6年間を過ごしていました。

 

あいりん地区には、その中心地とも言える「三角公園(通称)」があります。
公園とは言っても、子どもたちの姿は皆無で
青いテントがホームレスたちの住まいになってます。

僕は、三角公園から、すぐのアパートに住んでいました。
この道の奥に、当時住んでいたアパートがあります。
かつては子どもたちが遊ぶ広場だったのですが、
それは、車も入れないほどの狭い道だったことに驚きます。

突き当りのアパートに住んでいたんですが、今は廃墟となっていました。
手前のアパートは今も住民がいらっしゃいます。
驚くのは、その住民のかたが僕のことを覚えていたことです。
と言うよりは、父の暴力性を覚えていたようですが。。。

住んでいたアパートは
たぶんは、四畳半一間の部屋でした。(もしかすると六畳かも)
風呂無し、トイレ共同、台所まで共同のアパートでした。

台所は、石造りで、目の前の窓からは、今は廃線となった線路が見えていました。

多分は僕が5歳のころ、その台所で、
おかあちゃんがメロンを切っているんです。

もちろん、食べたことなんかありません。

水に濡れ黒っぽい灰色をした石造りの台所に、
キレイな緑、三日月の形のメロンが置かれていく。

おかあちゃんが、その一切れを僕にくれて、
「あとは大事に食べるんやで・・・」って、、、

子どもながらに、残酷な未来に気づきます。

”おかあちゃんが出て行く・・・”

「おかあちゃん、出て行かんといて! 僕を置いて出て行かんといて!」
子どもなんだから、そう言えばいいのに言えなかった。

なぜなら、おかあちゃんが出て行くのは、父の暴力が原因だって分かっていたから。

それを知っていたから、
「おかあちゃん、出て行かんといて!」と言えなかった。

僕の口からなんとか出せた言葉は、
「おかあちゃん、今度はスイカにしてな……」でした。

”メロンなんかいらん、スイカでええから、出て行かんといて・・・”

そんな想いを込めた言葉でしたが、おかあちゃんは居なくなりました。

 

母が出ていった部屋で、父の帰りを待ちます。
けれども、父は帰ってきません。
今日も、昨日も、一昨日も。。。。
メロンはもちろん、作り置きをしておいてくれた焼き飯(炒飯)もなくなりました。

空腹で途方にくれていたとき、
両親から「三角公園には行ったらあかんで」と言われていたことを思い出します。
駄目と言われたら行ってしまうものです。。。

当時の三角公園の周りでは、
ドラム缶の上に板をおいて、サイコロ博打をしている人が多かった。
サイコロを振っている姿が、僕には楽しそうに見えて、ずっと眺めていました。

「坊主、振ってみるか?」と言われ、
ビールケースだったか、台の上に乗ってサイコロを振らせてもらいました。
僕がサイコロを振ると、大人たちが大騒ぎするのが、とても楽しかったのを覚えています。
今思うと、勝ったり負けたりしてたんでしょうね。

で、多分は勝った人が僕にご馳走をしてくれるんです。

空腹を満たして家に帰る。
味をしめた僕は、翌日もサイコロを振りに三角公園へ(笑

通いはじめて、3日目か4日目か、
ホームレスのおじさんから聞かれます。
「親は心配してないのか?」

「おかあちゃん出ていったもうた。お父ちゃん帰ってけえへん。」

家に誰も居ないこと。食べるものがなにもないことなどを聞いてくれました。

気がついたら、テントで生活している自分がいました。
ホームレスの人たちと一緒にテントで寝て
朝は一緒に起きて、新聞とか、空き瓶を集めて
焚き火をして、サイコロを振って、、、、

小さなころから虐待を受けていた僕にとっては、
殴られることがない居場所
毎日が安心できる、そして楽しい時間でした。

今でも鮮明に覚えているのは、ホームレスの人たちに抱きしめられたことです。

当時は小さかった僕の体を、ぎゅーーって抱きしめてくれた。
ときには、僕を抱きしめたいための行列ができるほどに。

僕には、
父にも母にも抱きしめられた記憶がありません。

だからか、とてもとても嬉しかった。

臭いは気にならないのか?
臭かったという記憶はありません。
僕自身もずっとお風呂に入ってなかった(と思う)ので
同じぐらい臭かったからかもしれません。

僕を抱きしめるために、
なけなしのお金でお風呂に行って、
普段は着ないような服を着て
抱きしめてくれた人もいた。

なんかね
「僕は大切にされているんだ」という温かい気持ちになっていた
だから、僕にとっては忘れられない記憶になっているのかも知れない。

 

折り紙の折り方
あやとりの仕方
お絵かきの仕方

普通は親から教えてもらえることを、
僕はホームレスの人たちから教えてもらいました。

 

気がつくと、僕は父と生活をしていました。
父から、僕は病院で入院していたことを聞かされます。

父からの言葉と、断片的な記憶をつなぎ合わせると
ホームレスとの生活をしているなか、
なんらかの病気になってしまい病院に運び込まれたようです。

病院にいた記憶は全くありません。

 

父との生活は地獄でした。
理由もなく殴られ蹴られる日々。
タバコの火を、何度も押し付けられる。
ほうきの柄で殴られる。
ごっついベルトで叩かれる。
そして、なんども「殺したろか!!」と脅かされる。

あるときに
父に殴られている自分自身が見えるようになる。
まるで、天井から、それを観ているような感じで。
そのときだけ、痛みを感じなかったように思います。

小学校に上がっても、ランドセルを買ってもらえなかった。
ランドセルがなく、生きるエネルギーも失っていた僕は、
イジメにあう。

もう、ずっと<消えてなくなりたい>と思っていました。

おかあちゃんは、なんで僕を捨てたのかな?
おかあちゃんのせいで、こんなに辛い目にあってるんだって
ずっと、母を恨んでいました。

 

そんな僕を変えてくれたきっかけが、
小学3年生の秋から始めさせられた新聞配達でした。
朝は20キロ、夕方は12キロを自転車で配達をしていました。

はじめは、嫌で嫌で、泣きながら配っていた日もありました。
なんでこんなことせなあかんの
なんで新聞配達なんてせなあかんのって

ある日、配達先のおばちゃんが、僕にチョコレートをくれた。
「ぼく、いつも頑張ってんな。これ食べ」って。

これが、僕の世界を変えるきっかけになります。
その話は、改めて。

2010年に、母に対する想いを書きました。
こちらもよかったら御覧ください。
https://ameblo.jp/square-one/entry-10696639229.html

 

多分は2〜3歳くらいの写真
幼少期の写真は、僕の手元に数枚しかありません。
実は、本当に僕の写真なのか不明だったりします。確認したことがないので。。。
でも、どうみても僕の写真らしいです(笑

 

僕は、ホームレスの人たちや、学校の先生、たくさんの大人たちのおかげで今があります。

だからこそ、
今の子どもたちにとって、子どもたちの未来を明るくさせる、かっこいい大人でありたいと思っています。

 

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